アイヌの治造さん

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GPCボランティア・スタッフのヴィンスです。大学でアイヌ民族、先住民族政策、社会福祉政策、コミュニティディベロップメント、教育を中心に勉強しています。この夏、日本で出会った治造さんについて書きたいと思います。

今年の夏、日本に行った際に、千葉県君津にある「カムイミンタラ」にお邪魔させていただきました。アイヌ民族のエカシ(長老)の浦川治造(うらかわ・はるぞう)さんが、私財を投じ重機を持ち込み、地元や、多くのボランティアの方達の協力を得て、子どもたちが自然と交流できるような場を作ろうと、開拓された場所です。

アイヌの人々の家には、火のカムイ(神)・囲炉裏を囲んで、「それぞれが生きている事、生きて来た事を語り合い、互いを認めてあい元気になっていく」場があったそうです。そんな場所を治造さんは作りたかったということなんです。

治造さんの笑顔は、本当にみんなをにこりとさせます。過去に、数多くの重労働で鍛えられた大きな体でありながら、治造さんは、とても大らかで人を包み込むような雰囲気を持っていて、冗談を言っては、皆が笑うのをそっと待っているようなそんな茶目っ気もある方です。

北海道・日高地方で生まれた治造さんは、子供のころからお父様の猟猟に付き添われ生活に必要な多くの知識を学び、山、海、大地との対話から自然との深い関わりを受け継いできたそうです。この「カムイミンタラ」では、治造さんの経験談を聞きに、主に都心から多くの訪問者で賑わうそうです。

カムイミンタラにて
僕も、気づけば5時間以上もお邪魔させていただいていました。治造さんのおっしゃられた言葉で忘れられなかったのは、自然との対話、つながることの大切さについてでした。「カムイミンタラ」の土地に広大に広がる木々を見ながら治造さんは、「昔は、こうやって森の木々とかと会話が出来てたんだよね。山の作物の状況だとか、天候だとか感じ取れたから、無理なときは無理はしないし。それが当たり前だったんだよね。でも、この現代じゃ、みんなそういう感覚ってなくなってしまって、『自然』に沿わない無理をするようになっちゃったから、ストレスを感じるんじゃないかなぁ。」とぽつり。もしかしたら、私たち個人が感じるストレスというのも同じコンセプトなのかもしれませんね。

人間というのは何千年も何万年も周りにある自然と共存することで生活を営んできました。だから伝統だとか歴史という名のもとで、自然との対話を続けて来たというのです。それが現代では様々な便利さ、発明や発展によって、そのような大切なプロセスが必要とされなくなってきたのかもしれません。でも、自然に「沿わない」行動を続ける事で、人間や環境に与えられるストレスが増えてしまい、それが重荷となったり、もっと大きな問題となり得ているかもしれないのです。

ここハワイでも、人々の土地への思い、つながりは深いものがあります。アイヌの人々と同様に長年の歴史と言い伝えから、生活手段として、生活そのものとして、自然との結びつきを大切にしてきました。山を大切にすることで、雨が自然貯水池となり、人間や家畜への飲み水、作物への大切なエネルギーとなる。どこかひとつでも大切に利用できないのであれば、次の場所への影響が出るのです。汚れた水が海に流れる事で、魚などの生態が変わってしまいます。

太陽、水、自然の恵みは、成長をもたらす大切な要素なのです。途中を何か抜いてしまう、失ってしまうことで、ライフサイクルがすべて崩れてしまうこともあるのです。そして一度崩れると回復には相当の時間がかかります。ですので、祈りを込めて、太陽や雨、自然の恵みに感謝をする儀式が必然的に生まれてくるわけなんです。

アイヌ民族の方々は、歴史的に政府や社会からの不当な差別や対応を受け苦しんできました。彼等の元々の土地である北海道での生活、彼等を取り巻く環境や自然の管理は大きく様変わりしました。資本が増える事、発展や発明などは、世の中や人々の生活を便利にしています。もちろんそれ自体は悪い事ではないのですが、時に自然と向き合う事、付き合う事の重要さが忘れられた結果となることが多々あったと思います。そして、そういったプロセスの理解不足が、様々な問題が国際的に危惧されている理由のひとつなのではないでしょうか。そんな中で、長年、土地に根付いた伝統や歴史からの知識を守り続けてきた先住民族の人々から、わたしたちは多く学ぶ事があるような気がしてなりません。

治造さんから、そんな自然への思い、つながりの大切さを教えてもらったような気がします。